結論から言いますと、日本人は世界のどこで英語を学んでも、必ず日本語訛りになります。
身もふたもない話ですが、我々はアメリカ訛りにも、イギリス訛りにも、ニュージーランド訛りにもなりません。
そしてネイティブは日本人の訛りなんて気にしていません。これは我々日本人が外国人の日本語の訛りを気にしないのと同じです。
それにそもそも「標準の英語」がありませんので、英語に訛りなど無いのです。もしくは全世界、全ての地域の英語は例外なく訛っている状況です。
そもそも「訛り」を気にしているのは誰なのでしょう?
前述の通り、結論として日本人の英語は必ず日本語訛りになります。
日本人が世界のどこで英語を学んだとしも、ネイティブからすれば全て日本語訛りに聞こえます。
ですからアメリカ英語、イギリス英語、ニュージーランド英語の違いにこだわっているのは、それを学んでいる学生だけです。
実際にネイティブに外国人の英語の何が気になるのかを訊いてみますと、「言い回しと時制の間違い、三単現の”s”のつけ忘れが気になる」といった話はよく聞きますが、「訛りが気になる」という話はまず出てきません。
考えてみればネイティブは、毎日の生活の中で外国人の英語に接しています。
テレビ、学校、ビジネス、買い物、レストラン、銀行、郵便局、ご近所づきあい、ほぼ確実に外国人の英語に接していますので、いまさら外国人の訛りを気にしません。
一度、逆の立場で考えてみます
ちょっとこの点、【日本語留学を考えているニュージーランド人のトム君】の例を考えてみます。
トム君は日本への語学留学を希望していて、行き先は九州の福岡を考えています。
そこで既に日本に滞在しているニュージーランド人の友人に相談してみた所、
「九州には訛りがあるよ」
と言われました。
また別の友達から
「九州と北海道の発音は標準語とは違うよ」
とも聞きました。
それで色々と考えた末に東京に行こうかと思ったのですが、人ごみが苦手なので東京に興味が持てません。
それにやっぱり九州が大好きですので、中々に渡航先を絞り込めずにいます。
「本当は九州に行きたいんだけど、訛りのある日本語を覚えるのは嫌だな・・・。
とりあえず九州に訛りがあるというのは本当らしいし、どうしたものか・・・」
実際、トム君の友人の話は間違っていません。
東京出身者にしてみれば九州弁は不思議に聞こえますし(逆に九州出身者からすれば標準語が不思議に聞こえますが)、北海道の発音は標準語とは微妙に違います。
それらは全て正しい情報であり、間違ったことは何一つありません。
また友人達は、トム君の為を思って話してくれています。
そこに一切の悪気はありませんし、ここに登場した人物は全員が正直で、誠実で、親切です。
しかしこの状況、我々日本人からすれば、
「トム君が九州で学んでも東京で学んでも、結局は英語訛りの日本語になるよ。
もっと正直に言っちゃえば、たとえトム君が日本に10年住んだとしても、我々の耳には【英語訛りの日本語】に聞こえると思うよ」
と、こうなります。
英語の「訛り」を判断出来る語学レベル
さてトム君のケース、更に考えを進めます。
「ところで九州弁って、どんな感じなんだろう?
標準語と比べて何が違うの?
他の地域の訛りはどんな感じ?」
もしもトム君に標準語を完璧に聞き取るスキルがあるならば、地域による表現の違いも分かるでしょう。
また地域のイントネーションを完全に聞き取れるのなら、他の地域との違いも分かると思います。
しかしある程度のレベルで日本語を理解しない限り、【九州弁のあたたかさ】や【関西弁の柔らかさ】や【東北弁の愛らしさ】は分かりません。それを理解するには地域による発音の違いを聞き取るスキルと、十分な日本語力が必要になります。
ここで、
東京 ⇒ アメリカ 九州 ⇒ ニュージーランド 北海道 ⇒ イギリス
とすると、なんとなく状況が見えてくるかと思います。
結局、地域ごとの訛りはデープ・スペクターさんくらいペラペラになって、ようやく分かって来るレベルです。
そしてまたデープ・スペクターさんレベルであれば、相手の日本語から大体の出身地を当てられるかと思います。
しかし我々日本人は外国人の発音のみを聞いて、彼らがどこで日本語を習ったのかを言い当てられません。
実際にデープ・スペクターさんレベルの日本語であっても、発音だけでは彼がどこで日本語を学んだのかを判断出来ません。つまり【外国語訛り】は【地方ごとの発音の違い】より、ずっとずっと強いのです。
英語は日本語よりも訛りが軽い言語です
そして英語には日本語のような【方言の多様性】がありません。
ニュージーランド英語でもイギリス英語でもアメリカ英語でも、違いは基本として発音とイントネーションと言い回しのみであり、単語はほぼ同じものを使います。
例えば「試着していい?」というのをアメリカ人は「Can I try this on?」と言いますが、イギリス人は「Can I possibly give it a go?」などと表現します。
しかしこれ、アメリカ人もイギリス人もお互いに意味は分かるんです。自分ではまず使わないんですが、「何を意味しているか?」は分かります。ただ、「あ、アメリカ人は(イギリス人は)、この状況でそういう風に言うんだ」と思うだけです。
つまり can、I、try、this、on、possibly、give、it、a、go という単語自体に違いはありません。また give it a go も「試す」という意味で共通しています。
しかしこれが日本語ですと、「寒い」が「しばれる」になったり、「捨てる」が「ほかす」になったり、「話す」が「あびーん」になったりします。つまり英語より強いレベルで多様性が広がっているのです。

寒い、しばれる、ひやい、さぶい、いてる、しみる。確かに日本語の方言は知識として単語を知らなかったらアウトなレベルで変化するよね 。
そうなんです。
日本語には「訛り」や「方言」という言い方しか無いので説明が難しいのですが、「英語の訛り」は「日本語的な訛り」とは根本的に違います。基本、相手に通じるのです。
「関西弁は時々聞いたことのない単語が出てくる」
「沖縄の言葉、全く分からなかった」
「田舎のばぁちゃんの岩手弁、3割しか理解出来なかった・・・」
我々も時々そんな話をしますが、それとは状況が違います。
ちょっと喩えとしてはアレですが、英語の状況はイメージとして、「クレヨンしんちゃん族」と「さかなクン族」と「出川哲郎さん族」がいて、全てが標準語で話している感じです。確かにお互い聞きづらいですし、たまに地域の言い回しも出てきますが、相手の話が分からないという事はありません。
改めて、「訛り」を気にしているのは誰なのでしょう?
それでは話をトム君に戻し、我々は彼に対してどの地域への留学をお勧めするべきでしょう?
九州?関西?名古屋?秋田?それともやはり東京でしょうか?
しかし繰り返しになりますが、どの地域で学んでもトム君の日本語は【英語訛りの日本語】になります。
10年経てばペラペラになるかもしれませんが、それでも我々の耳には【外国人の日本語】に聴こえます。
結局の所、何年経っても外国人の発音はネイティブと同じにはなりません。
天才的な語学の才を持ち、何十年も努力を積み重ねたデープさんの日本語であっても、我々と同じではありません。
この状況を踏まえつつ、それでも人前で堂々と、
「それでも私は、私の発音を正しいと思っている」
と言える場合、それは単に本人が努力しただけの事です。言葉を学んだ地域は関係ありません。
そしてまた、そこまで努力してきた方は初心者をつかまえて、
「キミの発音はおかしいよ。そんな日本語は九州では通じないよ」
とは言いません。
「関西弁しか話せないなんて、どうかしてるよ」
とも言いません。
そしてネイティブである我々も、トム君の日本語を笑ったりしません。けむたがりもしません。
トム君が福岡弁であっても、関西弁であっても、標準語であっても、北海道弁であっても、そんな事を気にする人なんて居ません。もしもトム君を嘲笑う日本人が居るのなら、その日本人こそが恥じて改めるべきです。

さてそれではこの画像、もしも左の女性が九州で日本語を学んだとして、あなたはそれを気にするでしょうか?
標準語じゃないと馬鹿にしますか?
不愉快になりますか?
腹を立てますか?
嘲笑いますか?
彼女を失礼な人だと思いますか?
彼女は東京で日本語を学ぶべきだったと考えますか?
大阪で学ぶべきだったと考えますか?
北海道が良かったと思いますか?
それとも、そもそもの九州の発音を馬鹿にしますか?
言葉の端々に九州のイントネーションがあったとして、何かしら不都合がありますか?
英語ネイティブの人々が日本人の英語に対して感じているのは、今あなたが感じている気持ちと全く同じです。
さてここで改めて、「訛り」を気にしているのは一体誰でしょう?
そしてまたどんな人が、他人の発音にダメ出ししているのでしょう?
私個人の考えとしては、他人の発音をどうこう言うのは「ごく一部の変わった考えの人達」であり、それを気にする必要は全く無いと思うのですが、あなたのお考えはどうでしょうか。
「訛り」と「英語力」の関係
ところでニュージーランドに20年以上住んでいる私はアメリカ映画を観ている時に
「あれ?今、なんて言ったんだろう?」
と思うことが多々あります。
またアイリッシュと話していて、
「うわ、ぜんぜん分からないなぁ・・・」
と凹む事もあります。
しかしニュージーランド人の友達ですら
「いやいや、アメリカ人の発音って、たまに分からない時があるよ」
と言いますので、これはもう、お互い様だと思っています。
そしてこれはアメリカ英語が悪いわけでも、アイリッシュ英語が駄目なわけでもありません。勿論、ニュージーランド英語が劣っているわけでもありません。
相手の英語が分からないのは、単純にお互いの英語力が足りていないだけの事です。
ニュージーランド人に分かるように話せないアメリカ人の英語力、またアメリカ人の発音を聞き取れないニュージーランド人のリスニング能力が足りていません。
日本語と違って単語はほぼ全て同じものを指すのですから、これは単純に慣れの問題です。
ですからこの状況下でネイティブ同士が、
「アメリカ人の英語は分からない」
「アイリッシュの英語は意味不明だ」
「ニュージーランド人の英語は本当に英語なのか?」
と言い合っているのは、ある種の冗談です。
もし本気でそんな事を言っている人が居るのなら、その人は英語力だけではなく、思いやりと客観性が足りていません。
「本気で言うけど、アメリカ人の英語って意味不明だよ」
「オーストラリア人の英語は訛り過ぎだよ」
たとえそれがネイティブの意見であっても、そんな言葉に振り回される必要はありません。これは【方言を軽視している日本人が語る日本語論】と同じで、全く価値の無い意見です。
ベストな留学先は決まっています

以上を踏まえますと
「ニュージーランド人の発音はおかしいよ」
や
「アメリカ人の発音って変だよね」
と言っている、一部の日本人の滑稽さが見えてきます。
この状況は【ちょっと日本語を話せる外国人】が
「標準語ッテ メッチャ 変ク 聞コエル デスヤンカ」
と言っているのと同じです。
「キミ タチ ノォ 日本語ハ オカシイ デス ネ! 関西弁ハァ 正シイ ジャナイ デス」
と威張っているのと同じです。
もしもこんな事を言っている外国人が近くに居たとして、あなたはその人と友達になれるでしょうか?
少なくとも私はそんな事を言う外国人なんかより、大好きな九州で一生懸命日本語を勉強してくれているトム君と友達になりたいな、と思います。トム君の日本語が多少聞きづらくても、出来るだけ聞いてみようと思います。
結局、訛りというのはそんな程度の話なのです。
ニュージーランド英語は訛っています。アメリカ英語も訛っています。イギリス英語も訛っています。そして我々はどこで学んでも、必ず日本語訛りの英語になります。
ですから結論としては自分が選んだ国、自分が選んだ街で、自分が望んだ生活を送りながら、英語を学ぶのがベストです。
英語を学ぶ際に一番大切なのは他人の目ではなく、「自分自身が楽しむ事」なのですから。
発音について、蛇足的な追記
・・・という事で留学先は「無理せず、お好きな所で」という結論になります。
ただし本ページの趣旨は【国や地域による発音や訛りに優劣はない】という事であって、発音を頑張らなくて良いという事ではありません。
発音矯正は地味で大変な作業ですが、やってみると中々に面白いものですのでコツコツと頑張っていきましょう。
