結論から書いてしまえば、日本人はどの国で英語を学んでも必ず日本語訛り / 日本語発音の英語になります。
私たちの英語はアメリカ訛りにも、イギリス訛りにも、ニュージーランド訛りにもなりません。必ず日本語訛りになります。
またそもそもこの世界には「標準となる英語」はありませんので、「全ての英語は例外なく訛っている」とも言えます。
そしてネイティブは日本人の日本語訛り英語を気にしません。これは私たちが外国人の日本語の訛りを気にしないのと同じです。
ですから英語の訛りについて気にする必要はありません。
それではこの点、ちょっと掘り下げて考えてみます。
そもそも「発音」や「訛り」を気にしているのは誰なのでしょう?
繰り返しになりますが、日本人の英語はどうやっても必ず日本語訛りになります。
実際に現地に住んで30年という日本人であればまず間違いなく「私の発音はネイティブの発音とはまるで違う」とおっしゃいます。
そしてネイティブもその意見を強くは否定しません。大抵は「それでもあなたの英語に問題は無いし、とても自然ですよ」とコメントするのが一般的です。
つまり私たちが世界のどこで英語を学んだとしても、またとても自然に話せるようになったとしても、私たちの英語はネイティブには日本語訛りに聞こえるのです。
これはデープ・スペクターさんの日本語が綺麗で自然ではありつつも、私たちの発音とは微妙に違うのと同じです。
そして第二のポイントとして、ネイティブは外国人の発音をあまり気にしません。
ですからアメリカ英語、イギリス英語、ニュージーランド英語の違いにこだわっているのは、それを学んでいる学生だけだったりします。
これは私たちが外国人の日本語の発音ミスにいちいち反応しないのと同じです。
実際にネイティブに外国人の英語の何が気になるのかを聞いてみますと、「言い回しの間違いと時制のミス、三単現の”s”のつけ忘れなんかが気になる」とは言われますが、「訛りが気になる」という話はまず出てきません。
考えてみれば英語ネイティブの人々はテレビ、学校、ビジネス、買い物、レストラン、銀行、郵便局、ご近所づきあいなどで、ほぼ確実に外国人の英語に接しています。
ですから今さら外国人の訛りなんて気にならないのでしょう。
一度、逆の立場で考えてみます
この点、ちょっと視点を逆にして【日本語留学を考えているニュージーランド人のトム君】の例で考えてみます。
トム君は現在日本への語学留学を希望していて、行き先は九州の福岡を考えています。
そこですでに日本に滞在しているニュージーランド人の友人に相談してみた所、「九州には訛りがあるよ」と言われました。
また別の友達からは「九州と北海道の発音は標準語とは違うよ」と聞きました。
それで色々と考えた末に東京に行こうかとも思ったのですが、人ごみが苦手なので東京には興味が持てません。
それにやっぱり九州が大好きですので、渡航先を絞り込めずにいます。
「本当は九州に行きたいんだけど、訛りのある日本語を覚えるのはイヤだな・・・。
とりあえず九州に訛りがあるというのは本当らしいし、どうしたものか・・・」
実際、トム君の友人たちの話は間違っていません。
東京出身者にしてみれば九州弁は不思議に聞こえますし、九州出身者からすれば標準語が不思議に聞こえます。
また北海道の発音も標準語とは微妙に違います。これらは正しい情報であり、間違った点は何一つありません。
また友人達はトム君のためを思って話してくれています。
そこに一切の悪気はありませんし、ここに登場した人物は全員が正直で、誠実で、親切です。
しかしこの状況、私たち日本人からすれば、
「いや、トム君が九州で学んでも東京で学んでも、英語訛りの日本語になるよ。もっと正直に言っちゃえば、たとえトム君が日本に10年住んだとしても、私たちには【英語訛りの日本語】に聞こえると思うよ」
と、こうなります。
「訛り」や「発音」を判断するには、かなり高い語学レベルが必要です
さてトム君のケース、更に考えを進めます。
「ところで九州弁って、どんな感じなの?標準語と比べて何が違うの?他の地域の訛りはどんな感じ?」
もしもトム君に標準語を完璧に聞き取るスキルがあるならば、地域による表現の違いも分かるでしょう。
また地域のイントネーションを完全に聞き取れるのなら、他の地域との違いも分かると思います。
しかしある程度のレベルで日本語を理解しない限り、【九州弁のあたたかさ】や【関西弁の柔らかさ】や【東北弁の愛らしさ】は分かりません。
それを理解するには地域による発音の違いを聞き取るスキルと、高度な日本語力が必要になります。
ここで、
東京 ⇒ アメリカ 九州 ⇒ ニュージーランド 北海道 ⇒ イギリス
とすると、なんとなく状況が見えてくるかと思います。
結局、地域ごとの訛りはデープ・スペクターさんくらいペラペラになって、ようやく分かるレベルです。
そしてまたデープ・スペクターさんレベルであれば、相手の日本語から大体の出身地を当てられるだろうと思います。
しかし私たち日本人は外国人の発音のみを聞いて、彼らがどこで日本語を習ったのかを言い当てられません。
実際にデープ・スペクターさんレベルの日本語であっても、発音だけでは彼がどこで日本語を学んだのかを私たちは判断できません。
つまり【外国語訛り】は【地方ごとの発音の違い】より、ずっとずっと強いのです。
英語は日本語よりも訛りが軽い言語です
そして英語には日本語のような【方言の多様性】がありません。
ニュージーランド英語でもイギリス英語でもアメリカ英語でも、違いは基本として発音とイントネーションと言い回しのみであり、単語はほぼ同じものを使います。
例えば「試着していい?」というのをアメリカ人は「Can I try this on?」と言いますが、イギリス人は「Can I possibly give it a go?」と表現します。
しかしこれ、アメリカ人もイギリス人もお互いに意味は分かります。
自分ではまず使わないのですが、「何を意味しているか?」は分かります。
ただ、「あ、アメリカ人は(イギリス人は)、この状況でそういう風に言うんだ」と思うだけです。
つまり can、I、try、this、on、possibly、give、it、a、go という単語それ自体に違いはなく、また「try on」も「give it a go」も「試す」という意味で共通しています。
しかしこれが日本語ですと、「寒い」が「しばれる」になったり、「捨てる」が「ほかす」になったり、「話す」が「あびーん」になったりします。
つまり日本語は英語より深いレベルで、地域による言語の多様性が広がっているのです。
さぶい、しばれる、ひやい、ひゃっこい、いてる、しみる、かんじる、こわい、すくれる、ひーさん。実際に日本語の方言は知識として単語を知らなかったらアウトなレベルで変化します。まただからこそ英語はその地域性を発音にのみ、求めているのかもしれません。
いずれにせよ日本語には「訛り」や「方言」という単語しかないので説明が難しいのですが、「英語の訛り」は「日本語の訛り」とは根本的に違います。
英語の訛りは基本、相手に通じるのです。
「関西弁は時々聞いたことのない単語が出てくる」
「沖縄の言葉、全く分からなかった」
「田舎のばぁちゃんの岩手弁、3割しか理解できなかった・・・」
私たちも時々そんな話をしますが、それとは状況が違います。英語は基本、通じます。
ただただ早口だったり、低音だったり、モゴモゴだったり、AとEの発音が逆だったり、WとRの音が似ていたり、Rの発音が強かったり、鼻から抜ける音が弱かったり、そんな感じです。
喩えとしてはちょっとアレですが、英語の状況はイメージとして、「クレヨンしんちゃん族」と「さかなクン族」と「出川哲郎さん族」がいて、全てが標準語で話している感じです。確かにお互い聞きづらいですし、時々は地域の言い回しも出てきますが、基本的に相手の話が分からないということはありません。
これが日本語の「訛り」と英語の「an accent」の根本的な違いです。
私たちは「訛り」という日本語が持つイメージに引っ張られて「訛ってるとやばいかも!」と思い過ぎている面があります。
しかし日本語の「訛り」と英語の「an accent」はそもそもの概念 / 状況が違います。
「an accent」 は別にやばくもなんともないですし、あって当たり前なものなのです。
改めて、「訛り」を気にしているのは誰なのでしょう?
それでは話をトム君に戻し、私たちは彼に対してどの地域への留学をお勧めするべきでしょう?
九州?関西?名古屋?秋田?それともやはり東京でしょうか?
しかし繰り返しになりますが、どの地域で学んでもトム君の日本語は【英語訛りの日本語】になります。
また10年も経てばペラペラになりますが、それでも私たち日本人には【外国人の日本語】に聴こえます。
結局の所、私たちの英語はネイティブと同じにはなりません。
天才的な語学の才を持ち、何十年も努力を積み重ねたデープ・スペクターさんの日本語であっても、私たちと同じではありません。
この状況を踏まえつつ、それでも人前で堂々と、
「それでも私は、私の発音を正しいと思っている」
と言える場合、それは単に本人が努力しただけのことです。言語を学んだ地域は関係ありません。
そしてまた、そこまで努力してきた方は初心者をつかまえて、
「キミの発音はおかしいよ。そんな日本語は九州では通じないよ」
とは言いません。
「関西弁しか話せないなんて、どうかしてるよ」
とも言いません。
そしてネイティブである私たちも、トム君の日本語を笑ったりしません。けむたがりもしません。
トム君が福岡弁であっても、関西弁であっても、標準語であっても、北海道弁であっても、そんなことを気にする人なんていません。
もしもトム君を嘲笑う日本人がいたとするなら、その日本人こそが恥じて改めるべきだと個人的には思います。
例えばこの画像、もしも左の女性が九州で日本語を学んだとして、あなたはそれを気にするでしょうか?
標準語じゃないと馬鹿にしますか?
不愉快になりますか?
腹を立てますか?
嘲笑いますか?
彼女を失礼な人だと思いますか?
彼女は東京で日本語を学ぶべきだったと考えますか?
大阪で学ぶべきだったと考えますか?
北海道が良かったと思いますか?
またそもそもの九州の発音を馬鹿にしますか?
言葉の端々に九州のイントネーションがあったとして、何かしら不都合がありますか?
問題がありますか?
英語ネイティブの人々が日本人の英語に対して感じているのは、今あなたが感じている気持ちと同じです。
ここで改めてもう一度、「訛り」を気にしているのは一体誰でしょう?
そしてまたどんな人が、他人の発音にダメ出ししているのでしょう?
私個人の考えとしては、他人の発音をどうこう言うのは「ごく一部の変わった考えの人達」であり、それを気にする必要は全く無いと思うのですが、あなたのお考えはどうでしょうか。
ネイティブの英語力も絶対ではありません
ところでニュージーランドに20年以上住んでいる私はアメリカ人と話している時に「あれ?今、なんて言われたんだろう?」と思うことが多々あります。
またアイリッシュと話していて、「うわ、ぜんぜん分からないなぁ・・・」と凹むこともあります。
しかしニュージーランド人の友達ですら「いやいや、アメリカ人の発音って、たまに分からない時があるよ」と言いますので、これはもう、お互いさまです。
つまりこの状況はアメリカ英語が悪いわけでも、アイリッシュ英語が駄目なわけでもありません。
もちろん、ニュージーランド英語が劣っているわけでもありません。
繰り返しになりますが英語は日本語の方言と違って単語の意味がほぼ同じですので、もしもネイティブ同士で相手の英語が分からないのなら、それは単純にお互いの英語力が足りていないだけのことです。
つまりニュージーランド人に分かるように話せないアメリカ人の英語力の低さ、また相手の発音を聞き取れないニュージーランド人のリスニング能力に問題があります。
ですからこの状況下でネイティブスピーカー同士が、
「アメリカ人の英語は分からない」、「アイリッシュの英語は意味不明だ」、「ニュージーランド人の英語は本当に英語なのか?」
と言い合っているのは、ある種の冗談です。
もしもそれを本気で言っているネイティブスピーカーがいるのなら、その人は英語力だけではなく、思いやりと客観性も足りていません。
「本気で言うけど、アメリカ人の英語って意味不明だよ」、「オーストラリア人の英語は訛り過ぎだよ」、「イギリス英語は英語じゃないよ」
たとえそれがネイティブの意見であっても、そんな言葉に振り回される必要はありません。
これは【方言を軽視している日本人が語る日本語論】と同じですので、まじめに受け止める必要がないのです。
ベストな留学先は決まっています
以上を踏まえますと「ニュージーランド人の発音はおかしいよ」や、「アメリカ人の発音って変だよね」と言っている、一部の人たちの滑稽さが見えてきます。
この状況は【ちょっと日本語を話せる外国人】が 「キミタチ ノォ 日本語ワァ オカッシィ デェス!」と言っているのと同じです。
「九州弁ワァ 正シィ ジャ ナァーイデスネー」 や「標準語ッテ メッチャ 変ク 聞コエル デスヤンカ」と言っているのと同じです。
もしもこんなことを言っている外国人が近くにいたとして、あなたはその人と友達になれるでしょうか?
少なくとも私はそんな外国人なんかより、大好きな九州で一生懸命日本語を勉強してくれているトム君と友達になりたいな、と思います。
トム君の日本語が多少聞きづらかったとしても、できるだけ聞いてみようと思います。
結局、訛りというのはそんな程度の話なのです。
ニュージーランド英語は訛っています。アメリカ英語も訛っています。イギリス英語も訛っています。
そして私たちはどこで学んでも、必ず日本語訛りの英語になります。
ですから結論としては自分が選んだ国、自分が選んだ街で、自分が望んだ生活を送りながら英語を学ぶのがベストです。
英語を学ぶ際に一番大切なのは他人の目ではなく、「自分自身が楽しむこと」なのですから。
ただし一点、実は「この国の英語は訛っている」と声を上げる日本人のほとんどは、努力家で優しい性格の方だったりします。
流れとしては英語力が上級レベルに達して自分の発音が間違っていることに気づく ⇒ 発音矯正を開始 ⇒ 地域による発音の違いを痛感 ⇒ それを初級レベルの人たちに伝えないと! ⇒ 「NZ英語ッテ メッチャ 変ク 聞コエル デスヤンカ!」的な流れです。根は真面目で親切な方たちなのです。
英語の発音について、蛇足的な追記
・・・ということで留学先は「無理せず、お好きな所で」というのが結論です。
そしてまた「国や地域による発音や訛りに優劣はありません」ということでもあるのですが、だからと言って発音を頑張らなくて良いということではありません。
発音矯正は地味で大変ですが、やってみると中々に面白い部分もありますのでコツコツと頑張っていきましょう。
上位レベルの発音は「ネイティブっぽく聞こえる」とは違います
ちなみに世の中には「ベッタベタな日本語訛りに聴こえるけれど、完璧にネイティブスピーカーに通じる英語」というのがあります。
これは音ではなくリズムと強弱が完璧なタイプで、実はアメリカ人にもイギリス人にも聞き取って貰える、ワイルド・カード的な英語だったりします。
これを日本語で言えば出川哲朗さんの日本語のような感じです。なんと言いますか、【音は完全に間違っているけど、何を話しているのかは100%で通じる】イメージです。
たとえば「タォさぁーん!」と発音していても確実に「タモさん」と分かると言いますか、「アバイヨ、ハバイオ」でも「ヤバイよヤバイよ」と聞こえると言いますか・・・
そんなわけで出川さんタイプは発音マニアの方々から敬遠されてしまいがちです。だって発音、間違ってますし。
しかし実際にネイティブを交えて話してみますと、むしろ発音マニアさんの方が聞き返されてしまったりします・・・が、それでも出川さんタイプは「下手な英語」、「聞き取れない英語」だと 【発音マニアの日本人からは】 思われてしまいます。
ネイティブはそう思っていないんですけれど。
だって、どっちも日本語訛りですし。
改めて、訛り問題ってそんな程度の話なんです。